話者の確信と実現可能性は別物

wouldに“反実仮想”と“推量”の意味が別々にあると考えるのは非常にややこしい結果になる、という話を前回紹介しました。
今回は話者の確信と実現可能性は別物だという点について触れていきたいと思います。


You haven't seen the last of Willie!‐The Simpsons, my English teacher

ついでなので would の整理をしましょう。以下の5つさえ覚えておけば問題はないかと。
…(中略)…
(D)確信の度合いが低い推量。基本の訳は「ひょっとしたら〜かもしれない」。
(E)仮定法の would。基本訳は「〜だろう」。

ここでは“推量”と“仮定法”を分けて説明しています。
それぞれの確信度の違いは不明です。


さらに、

仮定法には結論部分(「もし〜なら...だろう」の 「...だろう」の部分)に必ず助動詞の過去形が使われますね。そして仮定法の性質は「現実と反対のこと、もしくは実現の可能性がとても低いもの表す」というものでしたね。つまり仮定法における確信というものはゼロかほぼゼロに近いのです


 "推量"の助動詞の時制を過去にずらすと、その助動詞の性質は仮定法に近いものとなり、それに伴い「確信の度合い」も下がるわけです。もちろん仮定法に近くなるというだけであって、仮定法そのものではありません。しかし形は一緒なので仮定法の条件にあたるものがあるか否かで区別します。

とあり、「仮定法は実現可能性が低い」から「話者の確信度も低い」という説明になっています。
こうした捉え方はなんとなく多いように思いますが、実際は実現可能性と話者の確信度は関係ありません。

話者の確信と実現可能性は別物

仮定法の推測とは、
1)Aが起きる
2)すると
3)Bが起きる

という流れです。


最終的に“話者が思うBの起こりそうな確率”は、「Aが起きる確率」×「Aが起きたとするとBが起きる確率」で求められます。
図にするとこんな感じ。


「Aが起きる確率(X)」×「Aが起きたとするとBが起きる確率(Y)」=「話者が思うBの起こりそうな確率(Z)」



さて、よく助動詞の確信の度合いの順番が話題になります。
may;might;could;would;canはいずれも「〜かもしれない」という意味ですが、それぞれどう違うのですか?Yahoo!知恵袋

must, will, would, ought to, should, can, may, might, could(must が一番確信度が高い)


典型的な“仮定法”の文でいうと、
XはIf節の内容が起きると話者が考えている確率
Yは助動詞の確信の度合い
Zは帰結節の内容が起きると話者が考えている確率
となります。

したがって、wouldは90%だとかmightは50%だなどといわれる助動詞の確信の度合いは、あくまで「Aが起きるならばBが起きると話者が思っている」確率であって、「現実にBが起きるだろうと話者が思っている」確率と同じではありません。
もう少し詳しく見てみましょう。






1.いわゆる“反実仮想”のとき
1)X0%:Y90%:Z0%
これは、文字にすると「あの時100万円あれば間違いなく車を買っていたはずなのに!」「太陽が西から昇るようなことがあればお前に100万くれてやる!」というおなじみのパターンです。

結果、車は買っていませんしお金もあげないので確率Zは0%です。
しかし、話者がここで言いたいのは“条件さえ整えば間違いなく買ったのに!”“100万円くれてやるのに!”というY:90%のところです。
だからこそ、結果0%という事実との対比が生きるわけです。


2)X0%:Y50%:Z0%
これは、文字にすると「あの時100万円あれば車を買っていたかもしれないなあ」というおなじみのパターンです。

結果、車は買っていませんので確率Zは0%です。
しかし、話者がここで言いたいのは“条件さえ整えば買ったかもしれないなあ”というY:50%のところです。


この2つの状況を、結果としてZは起きなかったから確率0%で同じ、と見なしてしまうと、助動詞の使い分けによってそれぞれ確率Yを区別していることの意味がなくなってしまいます。






2.いわゆる“推量”のとき
1)X100%:Y90%:Z90%
これは、文字にすると「当時鉄は貴重だったから、彼らは鉄の代わりに銅を使ったに違いない」というパターンです。

この場合、確率Xがほぼ100%だろうという話者の見込みが前提となっているので、結果として確率Y=確率Zとなっています。


2)X100%:Y50%:Z50%
これは、文字にすると「当時鉄は貴重だったから、もしかしたら彼らは鉄の代わりに銅を使ったかもしれない」というパターンです。

これも上の場合と同じように、結果として確率Y=確率Zとなっています。


この“反実仮想”と“推量”を比較してわかることは以下の通りです。

  • Aが起きる確率(X)は0%か100%のどちらかであることがほとんどである。つまり結果として“反実仮想”か“推量”の意味になる。
  • “反実仮想”のときは、話者の言いたいことは助動詞の選択のところにある。つまりどれくらいの確率でA→Bの連鎖が起きうるか、というところが重要となる。
  • “推量”のときは、話者の言いたいことは帰結節のところにある。つまりどれくらいの確率でBが起きうるか、というところが重要となる。しかし、この場合はたいてい確率(X)が100%なので、結果的に“反実仮想”のときと同じように助動詞の選択に着目しているのと同じことになる。




〜結論〜
最初の引用に戻ると、
You haven't seen the last of Willie!‐The Simpsons, my English teacher

仮定法には結論部分(「もし〜なら...だろう」の 「...だろう」の部分)に必ず助動詞の過去形が使われますね。そして仮定法の性質は「現実と反対のこと、もしくは実現の可能性がとても低いもの表す」というものでしたね。つまり仮定法における確信というものはゼロかほぼゼロに近いのです

というのはちょっと違っていて、

  • 仮定法は現実と反対のこともあれば実現の可能性がとても高いものもある
  • だから仮定法における確信というものはひとえに助動詞の種類に左右されるけれども、例えばwouldを使った場合はとにかく確信度はめちゃくちゃ高い

という結論になると思います。


もちろんX50%:Y90%:Z45%
「あの出生届が正しいかどうかは5分5分だが、もし仮に正しいとするならば、彼女は亡くなったとき80歳だったはずだ。」

というパターンも表すことができます。
(尤も、ここまで条件がopenだと仮定法を使わなさそうですが)


このように、筆者がどこを強調しているかは文脈によって異なります。
そして助動詞の確信の強さと話者が思う実現可能性は必ずしも一致しません。
さらに副詞を使うことでさらに細かく確信度の強弱を変えることができます。
したがって、実際に英文を読むときには、仮定法が出てきたら同じ推測のうちの“反実仮想”なのか“推量”なのかを文脈によって決めることになります。