独立用法の功罪

推測のwill/wouldの変化形をまとめてみます。



※カッコ内は受験の文法項目としての名称にしてあります。
まず、表の左側のwill do/will have done/would do/would have doneはいずれも現在時制です。思っている内容はさておき、「話者がそう思っているのはいつなのか」といえばそれは現在です。
そしてそれぞれ過去形にすると、上の2つwill do/will have doneは形が変わるのに対して、下2つwould do/would have doneは形が変わりません。
受験でいうところの、“仮定法は時制の一致を受けない”という現象です。



今度は文法用語の代わりに意味を付記してあります。
また、『今』『昔』とあるのは、“話者が思った時点”から見て『今』『昔』という意味です。


ここで混乱しがちなところを列記します。

  • 1〜4は、話者がいつ思ったのかを現在形/過去形により区別して表現できるが、5〜8は現在形と過去形が同じ形なので区別して表現することができない。
  • 言い換えると、5〜8は、話者がいつ思ったのかをwouldそれ自体では表現できない。
  • 人によっては、5の助動詞would dowould have doneにすれば過去形にできると思うかもしれない(大過去などの考え方)。しかし、would dowould have doneにすることで変化するのは、「話者が話す出来事がいつ起きたか」の時制であって「話者がいつ思ったか」ではない。
  • 2と5、4と7が同形であるが、偶然である。
  • 1と2、3と4はそれぞれ現在形/過去形のペアであるが、1と3、2と4は別物である。
  • これに対して、5〜8はそれぞれ関連している。5と6、7と8はそれぞれ現在形/過去形のペアであり、5の語る出来事が過去ならば6、7の語る出来事が過去ならば8になる。


さて、このように整理してみると、仮定法(subjunctive)のwouldの特徴が明らかとなってきます。

  • wouldには直説法と仮定法の用法があるが、それぞれの違いさえ知っていれば英文を読むときにいちいち気にする必要はない。
  • そして、仮定法(subjunctive)のwould doの用法が“反実仮想”なのか“推量”なのかをいちいち気にする必要もない。どちらの意味なのかは文脈から判断する。
  • 同様に、仮定法(subjunctive)のwould have doneが“反実仮想”なのか“過去への推量”なのかをいちいち気にする必要もない。これも文脈から判断する。


辞書的に言えば、would do(仮定法過去)とwould have done(仮定法過去完了)はいずれも反実仮想であり、その他の独立用法として“推量”の意味があると説明されています。
そして、この独立用法という扱いが時として混乱を招くことになります。
(ちなみに“独立用法”なる言い方は最近知りました。)

独立用法のデメリット

“推量”の意味を別扱いにすることの最大のデメリットは、wouldを見ると自動的に反実仮想だと思ってしまうことです。
1.訳が仮定法らしくならないのですが・・・教えて!goo

  • tourists and visitors often experience a sense of freedom that goes with being among strangers, and they do things they would not dream of doing at home.

観光客と訪問客はしばしば、知らない人の一つであることに伴う解放感を経験するだろう、そして、彼らは彼らが自宅ですることが出来ない夢のような事をするだろう
と訳したのですが、仮定法の訳になってないと思うのですがどうしたら良いのでしょうか

この文中のwouldは反実仮想ではないわけですが、「would=反実仮想」という強いイメージがどうしても勝ってしまいます。


回答No.1

このwouldは事実でないことを遠回しに述べる婉曲用法ですから、仮定法の訳にならなくていいのです。
ここでは、「だろう」といった推量のニュアンスになります。

したがって回答も「今回出てきたwouldは反実仮想ではなく推量ですよ」というものになります。
この回答は100%正しいと思います。
しかし、この質問者は今後もwouldが出てくるたびに仮定法で訳してみてそれでダメなら“過去の習慣なのかな?推量なのかな?”としらみつぶしに考えなくてはならないでしょうから、そう意味では問題は解決していません。


2.文法的な構造を教えてください。教えて!goo

  • Completely helpless, absolutely dependent on the greater part of nine or ten months, it would seem better off in the womb a little longer until ready to make a respectable debut and stretch for himself.

it would seem...a little longerを、仮定法過去完了と判断したのですが、
completely....monthsまでは、itの修飾でしょうか。それともif it had beenの省略?

ここでも同様の質問。


回答No.2

it would seem...a little longer の"would"は、仮定法過去完了ではなくて、単純に推量を表しているのだと思います。

回答も同様の内容。


回答No.4

「would (seem)」は「仮定法過去完了」ではなく、単なる「推量」だと考えましょう。
訳は「〜であるように思われる(でしょう)。」が良いでしょう。

同じく「反実仮想か推量か」という判断。


3.仮定法の疑問教えて!goo
回答No.4への質問者補足

should have Vppやmust have Vppは「〜したはずだ」、「〜したちがいない」は明らかに、話者から見たら可能性はかなり高い。
よってこれらを仮定法の形になっていると判断するのは厳しくないですか??

同様の質問。


4.can(could) have+p.p.教えて!goo

推量・可能性と仮定法のcoudld have+p.p.はどのように見分けたらいいのでしょうか。

同様の質問。


このように、“反実仮想”と“推量”という全く異なる別々の用法があると説明されることで、どうしても両者の区別が大変なように感じられてしまうのです。
仮定法はただでさえ理解が難しいのに、推量という用法が後から無関係に付け足されるせいで、wouldが過剰に難しく感じられるのは損なことです。


5.第44章-2 助動詞と仮定法(その3-2)‐どうしてそうなる 英文法&イディオム

might+have+p.p.は推量の助動詞mightの後ろにhave+p.p.の形がついたものと、仮定法過去完了の二つがある。
例えばmight have been savedでは前者なら「(ひょっとしたら)救われているかもしれない」の意味で、救われたかどうかが不明の意味を表す。
しかし仮定法過去完了の場合は「(もし…したいたら)救われていたかもしれないのに(実際は救われなかった)」の意味を表す。

この説明でいけば、mightは推量の助動詞mightと、仮定法過去の二つがあることになります。
これも“反実仮想”が強調され過ぎた結果といえるでしょう。


6.英語の質問(文法・構文限定)Part59

16 :大学への名無しさん[sage]:2010/07/03(土) 22:59:03 id:TeKQ9Kpb0
仮定法の場合は「推量」ではなくて、「反事実」。
「couldn't have done」が「仮定法」なら、「(実際はdoできたが、《何か条件があったらな》)doできていなかった」ということ。
ただ、「couldn't have done」は「can't have done」の婉曲的な意味で使われたりする。
その場合は「doできたはずがない」という「推量」の意味になる。

このように理解するよりは、助動詞の“反実仮想”と“推量”はすべて推測の結果であり、結果がストレートな「推量」になったり「反事実」になったり「婉曲」になったりする、と考える方がすっきりします。

25 :大学への名無しさん[sage]:2010/07/03(土) 23:57:16 id:TeKQ9Kpb0
乱暴に一般化すると「助動詞+have+done」には、
(1)仮定法過去完了(過去についての仮定)
(2)現在における過去の推量(過去についての推量)
があります。両者の意味の違いは「実際はdoしていない(1)」「実際にdoしたかどうかは不明(2)」ということ。
とりあえず「(1)と(2)の可能性がある」ということを頭に入れておけば、後は現場主義で大丈夫でしょう。

途中経過はともかく、「後は現場主義で」というのはその通りだと思います。

couldの場合はさらにややこしい

ここからさらに発展してcouldの場合にはどうなのか?という良い例がありましたので紹介します。


1.could have 過去分詞教えて!goo

  • Ken Noguchi was the youngest person to climb Mt. Everest. Seeing him suffering from altitude sickness*, yet smiling while holding the Japanese flag at the summit, people wondered how a twenty-five-year-old could have done that.


さて、このcould have done…の部分の解釈は次のどちらでしょうか。
(1)このcould have done…は、過去のことについての<可能>を表すcould doが、時制の一致によって「過去の過去」を表す必要があるため、could have doneという形になっている。


(2)このPeople wondered how a twenty-five-year-old could have done that.
は直接話法で書き直すと、
People said to themselves, “How can[could] a twenty-five-year-old have done that?”
となる。
「How can[could] S’ have 過去分詞〜?」(どうして[なぜ]〜なんてことがありえるのだろう)が時制の一致を受けてhow …could have …となった。


私は(2)ではないかな、と思っています。が、他により適切な解釈があるのかもしれません。ご教示ください。

「過去のことについての<可能>を表すcould doが、時制の一致によって「過去の過去」を表す必要があるため、could have doneという形になっている」というのが誤りであることは最初に述べました。
それはさておき、この質問者さんはだいぶ“野口健問題”にはまったらしく、この質問に先立ってほかの掲示板でも同様の質問をしています。


2."could do" vs. "could have done"‐WordReference.com

What is the difference in meaning or nuance between #1 and #2, for the blank in the following passage?
1. could achieve
2. could have achieved

  • It was only five years ago that people recognized Ken Noguchi as the youngest person to scale the world’s highest peak. Seeing him suffering from altitude sickness, yet smiling while holding a Japanese national flag at the top of Mt. Everest, they wondered how a twenty-five-year-old man ( ) such a major undertaking.


3."could do" vs. "could have done"‐Dave's ESL Cafe's Student Discussion Forums

What is the difference in meaning or nuance between #1 and #2, for the blank in the following passage?
1. could achieve
2. could have achieved

  • It was only five years ago that people recognized Ken Noguchi as the youngest person to scale the world’s highest peak. Seeing him suffering from altitude sickness, yet smiling while holding a Japanese national flag at the top of Mt. Everest, they wondered how a twenty-five-year-old man ( ) such a major undertaking.

そしてその両方で1人を除いて完全に的外れな回答ばかりをもらってしまいます。
そしてこの件が伏線となったのか、この後で次のような質問をしています。


4.could imagine/could have imagined教えて!goo

  • The first machine that could properly be called a computer was not put into operation until 1950. In the few years since then, these machines seem to have been installed everywhere for hundreds of purposes for which no one ( ) they would be used.


先日接した上の英文の( )内は次の1でしたが、2でも意味を成すように思います。
1.could have imagined
2.could imagine


1と2ではどのように意味・ニュアンスが違うのでしょうか?そしてその違いはどこから生まれるのでしょうか。ご教示ください。

この“コンピューター”の例文と“野口健”の例文には大きな違いがあります。
それは次の通りです。

  • “コンピューター”の方は、推測しているのは筆者(最初の表でいうところの“思った人”)で、当時の人々が想像をした瞬間は筆者が推測した瞬間よりも昔の出来事。
  • 野口健”の方は、推測しているのはtheyで、野口健が登頂した瞬間はtheyが推測した瞬間よりも昔の出来事(ちなみにこっちは筆者は関係ない)。

したがって、今回のコンピューターの例文では、could have doneが正解になりそうです。
受験問題としてはこれでひとまず良しとしましょう。






さて、それならcould imagineはダメなのか?という話になると結論は微妙です。
なぜなら最初に表で紹介したようなwill/wouldのパターンとcan/couldでは少し事情が違うからです。


例えば、couldであれば

  • “…I guess his thinking was he'd missed the war, so he'd better hurry up and prove his manhood damn quick while he still could.”

―Douglas J. Preston&Lincoln Child, Still Life with Crows, p.139

のような「現在→過去」という時制の組み合わせはおかしくありませんが、推量のwouldで同様の組み合わせになることはあまり考えられません。


となると、例えば、

  • No One Could Imagine That This Place Could Be Deadly Dangerous 

の場合に、
1)couldは仮定法で、「今この画像を見ても誰一人想像もできないでしょう」
2)couldはcanの過去形で、「当時誰も想像できなかった」
のどちらなのかはなんとも判然としません。
couldは過去の一回きりの動作には使えないという決まりも、否定文には当てはまらないからです。


したがって、

  • The first machine that could properly be called a computer was not put into operation until 1950. In the few years since then, these machines seem to have been installed everywhere for hundreds of purposes for which no one ( ) they would be used.

の例文に戻ると、
1)could have imagined (推測として、当時誰も想像もできなかっただろう)
2)could imagine (事実として、確かに当時誰も想像できなかった)
のどちらなのかという問題に置き換えられます。


このような疑問はwould do/would have doneの場合には起きません。
さらにやっかいなことにcouldにはcan't have done/couldn't have doneという否定形も考えなくてはいけないのでさらに面倒です。