コア・イメージ

毎回いろんな英語学習法をディスってるようで気が引けるんですが、コアイメージって語源学習に似ているような気がします。


なんというか、“take”は「取り込むイメージ」で、“in”は「内部に」というところまでは全然いいんです。
でも、そこから“take in”は「内部に取り込む=抱く」です!という説明のところで分かんなくなる。
これって、“anthropo”は「人間」で“log”は「学問」だから“anthropology”は「人類学」だ!ってのと何も変わらないんですよね。


もともとこの手のやり方がなんで存在するかというと、句動詞や単語は種類がたくさんあって区別がつかないし覚えきれないので、その中から共通点を探すとうまいこと整理できるよ!、というところなわけです。
なので当然ながら共通点となる要素、ここでいうと“in”のイメージとか“log”のラテン語での意味とかを覚えておかなくちゃいけない。
でもそれって暗記のポイントをずらしただけなわけで。
アルクの語源辞典見ても分かるけど、量がいっぱいあるんですよ。
http://www.alc.co.jp/eng/vocab/etm/top50/index.html
もちろんこれで理解できた方もたくさんいるんでしょうけど、人を選びますよこれは。




もうひとつ、どんなルールにも例外があるわけですけど、コアイメージ法も語源学習もその例外が多すぎ。
例外は例外としてそっとしておけばいいのに、強がって「そんなの全部この法則で説明できちゃいますよ!」ってやるから無理がくるんです。
おかげでどうみてもこじつけとしか思えないものもたくさんありますよね。


どうもコアイメージやら語源を必要以上にありがたがってる人が考えているのは、句動詞やら単語やら無数にあって収拾がつかないから共通項(コア・語源)を理解すればあとはそれらを組み合わせることで無限に応用が効く、つまりは暗記量を減らせるんじゃね?ということだと思います。
でも実際やってみると、コアイメージを覚えなくちゃいけない。覚えたはいいけどこんどはそれらの組み合わせから本来の意味にたどり着くのに毎回連想ゲームをやらないといけないという矛盾。


こうした整理法は、意味が似ていて紛らわしい単語同士とか形が似ていて紛らわしい単語同士の区別のためには有効だと思います。
しかし、多くの英語学習法と同じく、「これだけで全てがうまくいく」と言い始めたら眉唾したほうがいいですよ。